修了生の方へ
社員教育企業No1

管理者養成学校が社員教育比較サイト「ビジネスブートキャンプ」にて、1位に選ばれました。

社員教育比較サイト「ビジネスブートキャンプ」
http://www.boot-camp.jp/

学校の歌ができるまで(地獄の友よ)

地獄の友よ
・詞 財部一朗
・曲 元橋康男

青竹庵は、東京日野市の団地の高台にあった。家は木造の民家で、ここが財部の巣窟だった。十人前後の研究員がそれぞれの部屋で茶卓に向かっていた。合宿・「地獄の訓練」はここで生まれた。
千葉県館山での第一回、極限の訓練に向け旅立つ日が来た。昭和五十四年六月のある日の午後、選ばれた講師二人と審査員一人が出かける身支度をしていた。財部は一人一人に「やってこいよ」と声をかけて廻った。

別れについては、見送りのルールがあった。財部を中心に五、六名の研究員が青竹庵を背に道路に並んだ。
三人は研究員に正対して並び、大きなバッグを地面 に置いた。すべては無言で行われた。財部は小さく「キオツケ・・・礼」と言い、双方、頭を深く下げた。

三人はバッグを取ると背を向け、無言のまま坂道を下って行った。足がもつれそうな、危なっかしい足取りだった。後姿を、居残り組みはおし黙って見送っ た。ルール通り、振り返ることなく角を右に曲がり、彼らが視界から消えた。
居残り組みはホッとし、言葉少なく部屋に引きあげた。

訓練は毎月一回行われた。十三日の合宿の中、講師の休日は一日しかなかった。旅館で、訓練生と一緒の部屋で寝起きしていた。訓練が終了すると、講師達は 青竹庵に引きあげてきた。報告がすむと、彼らが必ず口にする言葉があった。「イヤ、ほんとうに地獄でした」訓練生でなく講師にとって、訓練は地獄だったのだ。この言葉が頭に残り、財部は「極限の訓練」を「地獄の訓練」に改めた。

訓練生の卒業感想文は貴重な情報源であり、財部はすべてに目を通した。いずれも感動的だった。なかに「やってこいよと送られて・・・」という言葉があった。そうなんだ。「やってこいよ」は訓練生にこそ贈られる言葉なんだ。

財部は訓練の歌を作ろうと思った。歌が訓練の辛さを慰め、フツフツとやる気を高めてくれるかも・・・。歌のテーマは班友であるべきだ。感想文には班友と の出会いが数多く語られていた。十三日の訓練が終わり、訓練服をぬいで私服に着替えた時、班友と共に歌う詩にしよう。すると、歌の名が早々に決まった。 「地獄の友よ」・・・。

別れでは訓練の強烈な思い出とその情景が、走馬灯のようにかすめるらしかった。詩の一番の一行目が、たちまち決まった。「やってこいよと送られて 十三日間、地獄行き」…この項続く。

(以上、筆:財部)

作詞の財部は訓練生の書いた卒業感想文から、この「地獄の友よ」を創った。財部から詞を受け取り、作曲の為に何回も読みこんだ。詞の内容は、まさに 十三日間の訓練そのものであり、一コマ一コマが訓練生にとって全てが体験そのものであった。そこには、苦しみ、淋しみ、喜び、勇気、感動、別 れ・・・・・・の想いが綴られていた。
班友同志が心を一つにつなげられる歌にしたい。その想いで作曲にとりかかった。

管理者養成学校「地獄の訓練」が始まったのは、千葉県館山、房総半島の突端に位置し、荒波の打ち寄せる海岸を間近にした所である。

原詞は、「眠れぬ夜の 波の音」、「館山駅頭 魔の三分間」であり「平砂浦に 波がわきたつ」・・・となっていた。
昭和五十五年一月からは静岡県富士宮 市(現青木分校)に本校が移ることになり、そこは目の前に富士山を仰ぎ見る場所となった。そこで歌詞も「富士宮駅頭 魔の三分間」であり、「眠れぬ夜の  風の音」、「富士の高嶺に 雲がわき立つ」と詞の一部が変わった。

曲はやや哀愁を込めた中に一歩一歩前に進む力強さを兼ねた感じとした。曲の構成は少し専門的になるが、“やって来いよと 送られて・・・”と冒頭から短 調(暗く、淋しい調子)で始まり、途中、部分的に力強さを感じさせ・・・“魔の三分間”で一区切りとし、“さようなら・・・、さようなら”をガラッと長調 (明るい調子)にいったん転調し、“アアー地獄の友よ”で再び最初の感じの短調に戻して曲は終る。

昭和五十四年秋、「地獄の友よ」は歌手三鷹淳によってレコーディングされた。初めて訓練生と手をにぎり一緒に歌った“地獄の友よ”は感動的であった。
以来、毎期修了式の最後に会場の灯りが消され、真っ暗な中で全訓練生と講師によって歌い継がれている。

別れの歌として歌う訓練生は、入校した時から日を追って一つ一つの訓練の想いが走馬灯のごとくめぐる。歌う声は途切れ、涙と共に握りしめた手に力だけが伝い合うものを感じたものだ。感動は最高潮に達し、“さようなら、さようなら・・・アア地獄の友よ、アア、地獄の../友よ!”と盛り上がる。この時、訓練生の心は一つになってくれているな・・・と作曲者としての満足感にひたれるので有る。

全国の企業では、それぞれのイベントが行われているのが、その最後に全員で、「地獄の友よ」を歌うのが慣例になっている会社がたくさんあると聞いている。全国の地獄の友よ、今日も又、力強く戦ってほしい。

(以上、筆:元橋)